「ぐれてる子どもの親は
教師か警察官が多いんやぜ。(富山弁(笑))」
中学生の時、友人(パパが警察官のひと)
がよく言ってたこと。
(その友人は、
将来暴走族になるぞ~って意気込んでたけど
今頃どうしてるんだろうなー?(笑))
今までの経験上、
そのことは
何とも言えないと思う。
素敵な家庭を築かれていらっしゃる方を
たくさん知っているし
先生をされていらっしゃる親を持つ素敵な友人がいるので。
けれど、
そういう人がいたとして、
そうなる理由は
なんとなくわかる。
それは教師や警察官に限らずね。
さっき、
青木さやかさんの記事を読ませていただく機会があって
この言葉を思い出した。
「家でも教師をやってた母」
について触れてあって。
「母は常に世間体を気にしている」
ってところもあって。
わかる。
いつまでも
役職を生きる。とね。
別にそんな生き方が
あってもいい。
ただ、
みんながみんなじゃないし
理由はいろいろあると思うけど、
教職についている人は
住民運動会や地域行事などには
顔を出さない人が多い。今までの職場の様子からは。
(私が顔を出していたら、地元の方々に驚かれた。)
結婚するまでは
地元でデートなんて、恐ろしくてしない。
(できる人はするけど、できれば遠出でお願いします(笑))
結局
プライベートでは、
知ってる人に出会いたくない
みたいな。
普通に別に仕事をしていても普通に思うことだと思うけど
輪をかけてその思いが強い気がする。
(むしろ自分が気づかなくても向こうが気付く場合もあるのが嫌。銭湯とか特に。(笑)
プライベートまで
「先生」で見られたくないし、
「先生」でいたくない
的な。
大学生の時、ホテルでバイトしてた時も
「先生の宴会はヒドイからシフト入りたくない」
とかよく聞いた。
結局
いつまでも
周りは
「先生」として
見てくるのだ。
かくいう私も、
いろんなところに顔を出すのは好きなんだけど、
仕事外で出会った人には
先生であることは大概言わないようにしていた。
「先生」として見られたくないから。
「先生」として関わってほしいんじゃなくて
「私」としてかかわってほしかったから。
たまたま私には
尊敬する先輩がいて、
その方に、
「学校の外に出てからも24h先生やってたら、
血尿出て潰れてもうたわ。
だから、
学校の外に出たら『先生』を脱いでるんやでー。」
って話を聞いていたから、
「なるほど。意識的に脱げばいいのか。」
って思ってきたし
そうしよって思ってやってきたつもりだけど、
結局のところ
脱ぎ切れてないなぁって
感じることもあって。
なんかその
プライベートとのバランス。
いつまでも
頑張ってる「先生の自分」で生きるのではなく、
先生たちもいい感じに「先生」という鎧を脱いで
「自分」を大切に生きることが
できるようになれれば、
いいなぁ。なんて思った夜。
結局みーんな、人間だから。
そして
自分を生きてない人に
自分を生きることを伝えることは
できないような気がするから。